【後編】奥田 英人(プロデューサー・ザ・ブルースカイ オーケストラ リーダー)

奥田 英人(おくだ ひでひと) 
プロデューサー
ザ・ブルースカイ オーケストラ リーダー

ブルースカイオーケストラの初代リーダー:奥田宗宏を父に持ち、幼少期よりJAZZの一流の世界に接する。その独特な感覚を音楽&ライフスタイルに持ち込み、若年代からシニア世代まで幅広いファン層を持つ。JAZZ、LATIN、ダンスナンバーを得意とし、1920年代から現代に至るまでの軽音楽の歴史に精通、若き‘マエストロ’と呼ばれている。また、ビッグバンドリーダーのみならず、自身のバンドも持ちコンサート&ショーを精力的に行う傍ら、多才な趣味、経験を生かしライフスタイルプロデューサー&マルチクリエイターとして様々な分野で活動。中学生、一般の音楽ファンや指導者のための教育にも力を入れ、各地でクリニックを開催。ブラスバンド、吹奏楽団、ビッグバンドなどの指導にあたっている。

<近年の主な企画>
・「インペリアル ジャズ コンプレックス」(2004年第1回~ 2018年第15回開催)
・「SWEET MUSIC with 奥田スインギー英人トリオ」
・ビッグバンドナイト 定期コンサート

<近年の主な制作物>
・「インペリアル ジャズ コンプレックス2007 オリジナルアナログ盤(LP)&CD」
・「BLUESKY PLAYS...」シリーズCD 5部作

ザ・ブルースカイ オーケストラ

初代奥田宗宏が1934年に「奥田宗宏&His BLUESKY DANCE ORCHESTRA」を創設、2019年に85周年を迎える日本が世界に誇るビッグバンド。
1920年代の楽曲から現代に至るまでの軽音楽に精通、次世代のJAZZ界牽引役として活動している。世界のジャズフェスティバル出演やオリンピックなどの公式行事のメインバンドをはじめ、平成2年度芸術祭賞やレコード大賞企画賞、数々のゴールドディスクなど輝かしい歴史を持つ名門バンドであり、軽音楽界にとってなくてはならない日本一のビッグバンドとして存在。

2020年11月17日渋谷クロスFM『音楽マンションプレゼンツ Life with Music』出演映像アーカイブ

後編

バンドを引き継いだエピソード

僕が24歳のとき、元気だった父が突然亡くなり、誰が父の後を継ぐかという話がありました。バンドメンバーと OB 合わせて43人が揃って選挙が行われ、42票が僕に入っていました。42票集まってしまったので、父の7回忌までこのバンドを潰さずにやりますと父の後を継ぎました。時期的にはバブル崩壊直後です。実際にはバンドがいつ潰れてもおかしくない大変な時期でした。テレビ番組のバンドの編成はどんどん小さくなり、タレントさんは移動費に莫大な経費がかかってしまうので、大きなバンド編成を連れていくことができなくなる時代になって来ていました。シンセサイザーが出来ると、音源がどんどん生バンドからそれに変わっていきました。しかし、それでもシンセサイザーではなくやはり生がいいとずっと言い続けて下さるお客様も少なからずいました。
そんな中、バンドメンバーでこれからのことを話し合いました。話し合いは、「この音」で集まっている以上はやはり、経営は大変かもしれないがこのメンバーでやりたいと決まりました。僕は代表としてそれでは何とかしなくてはと、定期的にも仕事があるホテルやダンスホール、テレビ局へ営業しました。追い打ちをかけるように昭和57年にカラオケが出てきて、ますます生バンドが低迷していきました。この当時のバンドメンバーは「どんな時でも今日の条件がこれだと言っても文句は言わない。とにかくバンドを残すことが最優先。」と言ってくれたのです。僕はどんな金額の仕事でも取りに行きました。そうすると、大小関わらず仕事はありました。僕の代になってからほかのバンドに吸収されることなく、潰れることもなく続いたのは全て、バンドメンバーであるミュージシャンのおかげだと思います。そして、帝国ホテル、ニューオータニ、ホテルオークラなど日本代表するホテルの経営者の方々がお使いになっていただけているという支えがありました。いい音は大事です。そのサウンドが品格を表しますので特に大事です。

これからの夢

今ちょうどバンド結成して86年目になります。末広がりの88年の時に日本のバンドがカーネギーホールに行って、その後、全米ツアーに出たらど

うなるのかなと考えています。僕が渡米中に、父が具合悪くなってしまったので、日本へ帰ってきてしまい、途中で諦めたことがありました。あのまま、僕がアメリカにいたら、きっとちがう人生があったと思います。でも今、リーダーとしてこのバンドを率いて、現メンバーで世界に勝負しに行ったらどんなシナジーが出るかなと考えるとワクワクします。さすがにカーネギークラスを押さえるとなると、2年先3年先から押さえないとなりません。今年、日本人に貸してくれるのかどうか交渉してみます。敷居が高く、やはり小ホールは借りることはできても、大ホールは貸してくれないとか、なかなか思うように進まないかもしれません。ですが、やるからにはお客様で満席にしたいです。やることがいっぱいで簡単ではないと思いますが、僕が元気なうちに1回挑戦してみたいと思います。

前編はこちら
http://ongaku-mansion.com/?page_id=3863

(2020年4月取材)

2020年11月17日渋谷クロスFM『音楽マンションプレゼンツ Life with Music』出演映像アーカイブ


 

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