桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を経て桐朋学園大学音楽学部卒業。
2014年渡仏。パリ地方音楽院コンサーティスト課程 ピアノ科 室内楽科を併せて卒業。
2005年大阪国際音楽コンクールデュオ・アンサンブル部門第2位受賞。2011年日本クラシック音楽コンクール全国大会ピアノ部門入選。2012年デザインK国際音楽コンクール二重奏部門第1位 併せてグランプリ受賞。2014年ザルツブルク=モーツァルト国際室内楽コンクール特別賞。第3回秋吉台音楽コンクール室内楽部門第4位入賞。2016年コンセール・ヴィヴァン新人オーディション優秀賞受賞。
帰国後、白井篤、神尾真由子各氏、ドイツ・グラモフォン120周年記念 Yellow Lounge Tokyo 2019ではマリ・サムエルセン氏(Vn)と共演するなど、室内楽分野で活躍。
2016年より、信州クロイツェル音楽村にて景山誠治、景山裕子各氏のマスタークラス ピアニストを務める。
これまでにピアノを大長美由紀、練木繁夫、山田富士子、高野耀子、アンヌ-リーズ・ガスタルディ、アンヌ・ケフェレック各氏 室内楽を大須賀恵里、マリー・フランス・ジレ、クリスチャン・イヴァルディ、エリック・ル・サージュ、ポール・メイエ各氏 伴奏法をアリアンヌ・ジャコブ氏に師事。
1.音楽家になったきっかけ
7歳からピアノを始め、成城学園の初等学校1年生の頃から、桐朋学園大学付属 子供のための音楽教室の先生にピアノを習っていました。 最初はプロを目指すという意気込みではなく、習い事の1つという感じでした。母がピアニストですので、音楽家というのは身近な存在でしたし、父を早くに亡くしておりましたので、物心つく前から音楽に慣れ親しみ、それ以外の職業をあまり知らないで育ったと思います。母はピアノの道に進む大変さをよく知っておりましたので、ピアニストに育てようとは全く思っていなかったようです。
母が「霧島国際音楽祭」にヴァイオリンマスタークラスのピアニストとして参加していた関係で、私も幼稚園から高校生になるまで、毎年夏休みは音楽祭を聴きに行っていました。
長期休みなどに母の演奏旅行に同行し、コンサートを聴いたり、他の演奏家の方々と接したことは自分も音楽の道に進みたいと思うきっかけの1つになったと思います。
ピアノを真剣に取り組むようになったきっかけは初等学校4年生の時に入った合唱部です。
成城学園はNHK全国学校音楽コンクールに毎年出場しており、私が入部した年も出場予定でした。しかし、普段 音楽の先生が2人で指揮と伴奏をされているところ、その年に限り、1人の先生が参加出来ない状況となり、合唱部員の中で、伴奏者を募集することになりました。
上級生は、コンクールになると先生が厳しい指導をすることを知っていて、中々引き受ける部員がいませんでした。そもそもコンクールは5、6年生が参加するもので、4年生は関係がなかったのですが、私は伴奏を弾いてみたいと秘かに心の中で思っていました。そんなとき、先生と目が合い、 「大越 弾いてみるか?」と言われました。
帰宅後 母にその旨を伝え、楽譜を渡したところ「絶対に無理」と言われました。ですが、どうしても自分は弾いてみたかったのでしょうね。当時、ペダルすら踏んだことがなかったのですが…。
ちょうどその時、学校のパソコンで、親に手紙を書く機会があり、母に「ピアノを教えてほしい」と書き、初めてピアノへの思いを伝えたことを今でも覚えています。それまでは母が私にレッスンをするということはほとんどなかったのですが、結局 コンクールの伴奏をさせていただくことになり、その時は熱心に練習を見てくれました。演奏旅行で長期間留守の時には 毎日の練習メニューを書いてくれたので、それを欠かさずに練習しました。
ピアノを必死に練習し、合唱コンクールという大きなステージで演奏させていただいた経験は人生の転機となりました。
それから桐朋学園大学付属 子供のための音楽教室に入室し、ピアノの実技、聴音やソルフェージュなど様々なことを学びました。
音高に行くときは、母からの反対はありませんでした。「自分の信じる道を行きなさい」と見守ってくれましたが、内心は苦労を知っているので大変苦しかったそうです。
桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を経て、桐朋学園大学に進学しましたが、まずは基礎の部分が全く足りていなかったので、ソロの練習に時間を費やしました。桐朋学園では、ピアノ伴奏が必要な試験では原則として生徒が伴奏をすることになっており、私も高校3年生頃から弦楽器の伴奏を少しずつさせていただくようになりました。
桐朋学園大学を卒業し、その年の秋からフランスへ留学し、パリ地方音楽院コンサーティスト課程 ピアノ科 室内楽科を併せて卒業いたしました。4年間、留学しておりましたが、一時帰国の際には ヴァイオリンセミナーのピアニストや、コンクールで伴奏をさせていただく機会が増えておりましたので、フランスではなく日本で活動したいと思い、2年前に完全帰国致しました。
今までにピアノを辞めたいと思ったことや、他の仕事をしようと考えたことは一度もありません。もちろん悔しい経験はたくさんありますが、演奏の仕事をすると心に決めた時から、一生懸命努力するしかないと日々練習を重ねています。
現在、母と全く同じ仕事をしていますが、この世界の厳しさも理解していますし、ピアニストとしても母を尊敬しています。
女手1つで私を育て、留学までさせていただき本当に感謝しております。
2.これからの夢
帰国して2年経ち、少しずつ演奏の機会をいただくことが増え、大きなステージ、コンクールでも伴奏をさせていただくことが出来るようになってまいりました。
母が長年務めていた桐朋学園大学音楽学部弦楽科の嘱託演奏員は、目標の1つでもあります。
まずは、ご依頼された演奏の機会を一つ一つ真摯に取り組み、信頼の置けるピアニストになれますよう努力し続けたいと思います。
3.これから音楽家を目指す方へのメッセージ
私もまだまだ勉強の途中で、お話できることは少ないのですが、自分の音楽やどういう演奏を目指したいかなど、意志を強く持つことが大事だと思います。
音楽家と一言で言っても、様々な道があると思うので、色々な経験をし、一人一人の道を探してほしいと思います。
(2020年10月取材)