3才から母であり声楽家の本山和佳子より音楽の手ほどきを受け、14才より本格的に声楽の勉強を始める。
その頃から母と共に小中学校や福祉施設を中心にボランティアでの演奏活動を数多く経験する。
2010年、東京音楽大学声楽演奏家コースに進学、在学中に学生オペラ団体を発足し、演出・キャストとして”フィガロの結婚”、”ドンジョヴァンニ”などの公演を成功させる。
より深くイタリアオペラを学ぶため留学を決意し、渡伊。
2012年 ボローニャ国立音楽院入学。
2017年 ボローニャ国立音楽最高得点卒業。
2017年 ボローニャ国立音楽院大学院入学
2019年 ボローニャ国立音楽院大学院卒業。
大学院においては、卒業試験を演奏と論文にて最高得点を取得首席のみならず、Lode(称賛)という称号を与えられる。
日本、イタリア各地にてソロ演奏活動を積極的に行なっており、イタリアでは地元の新聞などで数多く取り上げられた。
ミラノ・スカラ座のコレペティトール:ヴィンセント・スカレーラ、リチャード・バーカー、指揮者:フィリッポ・マリア・ブレッサン、マウロ・ペリッシノット他、歌手:各マスタークラス修了。
グルッポ・マンドリニスティコ・コディゴレーゼ(マンドリンオーケストラ)と共にソリスタとして各地で演奏ツアーを行う。
ボローニャ市立歌劇場ホワイエコンサートにてアストルガ”Stabat Mater”のソリストとして出演し好評を得る。
日本においては、赤坂にて2回のリサイタル及び、杉並公会堂にてW.A.モーツァルト作曲”踊れ、喜べ、幸いなる魂よ”、G.マーラー作曲 “交響曲第4番”「ソプラノソロのためのシンフォニー」歌い好評を博す。
この演奏会で日本での演奏活動を再開させることとなる。
ボローニャ市立歌劇場”の舞台にてモダンフェスティヴァル”にて、ダニエーレ・ベルトルディン作曲 ”萎れた花を手に” を18台の楽器をバックに超絶技巧曲を歌い、絶賛される。
サン・トンマーゾ教会の合唱指導を依頼され10カ国以上の人々の指導を務め、数多くの教会にてミサ教のソプラノソリスタとして演奏会をこなす。
イタリア最古の音楽院の一つであるナポリ:ピエタ・デイ・トゥルキーニ音楽院跡の教会にてアストルガ”Stabat Mater”のソロを切望され、再びソプラノソロを務める。
2018年、自身初となるCDの収録をイタリア、ボローニャで行う。リリースに先立ち、CD発表演奏会をTeatro Villa Mazzacoratiにて行う。
イタリア声楽コンコルソ グランフィナリスタ
サルヴァトーレ・マルトラーナコンクール 第2位
コンコルソ フォンダツィオーネ ズッケッリ 第1位
マリーナ ジェンティーレ(歌手)
ソニア コルシーニ(歌手)
フランチェスカ ペダーチ(歌手)
ヴィヴィアーナ チャボレッラ(コレペティ)
各師に師事
音楽を始めたきっかけ
父が音大の作曲科を出て公務員になり音楽の教師、母が声楽家で音楽を教えている家に産まれました。
母はソプラノ・リリコだったので、死ぬ役とかが多く、お腹の中でも、母の声を聴いていました。
小さい頃から、3歳から母からピアノは習っていましたが、小学校の高学年の時、親の勧めがあり、私立の中高一貫校に行きました。
ですが、中二の頃に、このまま高校に行くのはつまらないと思い始め、ある日家に帰ると、オペラの『こうもり』のDVDが流れていて、それを見て、「こういうドレスが着たい」と思い、それなら声楽をやるべきよ、と母に誘われ、声楽を習い始めました。
今から思えば、母のレールに綺麗に乗ったのかもしれません。
音楽高校を目指すことになり、埼玉の音楽高校に行きました。
一浪して東京音楽大学に入りました。
上位20名の演奏家コースに選ばれました。
両親の話をずっと聞いていたので、音大に入ったら、音楽オタクばかりかと楽しみに行ったのですが、そういう音大生活ではありませんでした。
音大では、オペラ一本を演じられる機会もなかったので、オペラを自分たちでやってみようと思いました。
子供の頃から、オペラを見て、あまり面白くないと思っていたので、みんなが面白く見ることができるオペラを作りたかったからです。
学校のお友達に声を掛けて、協力してくれる人とオペラの同好会を始めました。
「今だったら、学生だから舞台で間違えても大丈夫、とにかくチャレンジしよう!」と声を掛けていきました。
オペラは一本全編やると長いので、短く、分かりやすいものを作っていきました。
セリフは、日本語にして、音楽の部分は原語で行うという、ハイブリッドのものを作っていきました。
演奏家コースには、舞台演技法という授業があり、イタリア語のレチタティーヴォを習うというものがありますが、あくまで声楽家の先生が教えるため、演技指導はあまり教えてもらわないんです。
でも私は、オペラって、元は大衆演劇で、ストーリーがあるものなのに、棒立ちで歌っていて、観客にちゃんと伝わるか?を考えていました。
どうしたら、一般の人にオペラを楽しんでもらえるのかと考え、結果、エンターテイメントとしてオペラを上演すべきだ、演技力が必要不可欠だということで、当時、タカラジェンヌの方に演技指導をお願いしました。これは今でも私の表現力や演技力の根本になっています。
大学二年生の時に、「ドン・ジョヴァンニ」をやろうと用意をしていたら、教授に呼ばれました。
「台本があるらしいじゃない、持ってきなさい。」とのことでしたので、見せたら、「これはモーツアルトを冒涜している」と言われました。その時、「ここは私の居るべきところではないな」と退学を決めました。
父は、反対すると思いましたが、意外に反対もなく、ただ、「今まで私立の中高に行かせたし、さんざんお金を掛けてきたのだから残念だがお前にはもうこれ以上お金はかけられない。が、大学を辞めるのならイタリアには必ず行け。それが条件だ。」と言われました。自分でも最初からそのつもりでいたので、大学に退学届を出すと同時に飛行機の片道チケットを予約し、そこからアルバイト生活でお金を貯め、その年の11月に渡伊しました。親からの援助は一切受けていません。
2012年 ボローニャ国立音楽院入学し、2017年 ボローニャ国立音楽院卒業。
オペラ科最高得点及び栄誉賞を授与され首席卒業
2015年 イタリア声楽コンコルソ グランフィナリスタ
2016年 サルヴァートーレ・マルトラーナコンクール 第2位
2017年 ボローニャ国立音楽院大学院入学し、2019年 ボローニャ国立音楽院大学院卒業
2018年 コンコルソ フォンダツィオ―ネ ズッケッリ 第1位
イタリアに行き、オペラを歌い、10年くらい経ち、コロナで日本に戻ったら、今度、コロナの蔓延で戻れなくなりました。
やはり、イタリアの方が仕事が多いので、イタリアに帰れなくなって、ストレスになりました。
その時に考えたのは、「日本でやるべきことがあるのではないか?」ということです。
日本は、音楽で食べられないんです。
日本の演奏会は、チケットノルマがあるので、自分でチケットを売れないと生活が出来ません。
そこで、まず、自分がインスタグラムなどを使って、演奏会に集客できる方法を模索し、実行しました。
自分で演奏会を企画して、チケットを売れれば、食べていけるんだということを証明しました。
今は、財政難でイタリアの劇場もどんどん閉じています。
自分の子供の世代になった時オペラは存在するのか?を考えて、動いています。
オペラ団体Teatro PRIMOを立上げ、音楽を一緒に広めていく同志と活動をしています。
これからの夢
ピアノカフェ・ベヒシュタインでTeatro PRIMOが定期演奏会をさせていただくことになりました。
テアトロは、歌劇場のことです。
劇団四季や宝塚歌劇団のように専用の歌劇場を作りたいと思っています。
そうすれば、音楽を目指す人たちの仕事の場を作り、切磋琢磨出来るからです。
Teatro PRIMOのメンバーにファンを作ってもらい、自分が音楽を提供することで生活が回っていくような環境を作っていきたいと思っています。
音楽を目指す方へのメッセージ
音楽を楽しみたいなら、趣味の方が幸せだと思います。
今まで音楽をやっていて、苦しいことの方が多かったです。
でも、舞台に立って、拍手をしていただくと、昇華されるので、続けています。
これは舞台に立つ者しか味わえない特別なものです。
音楽を仕事としてやっていく、自分の音楽で人を幸せにする・人に感動を与えるというのは、並大抵の覚悟では出来ません。
人と違うことをしなくてはいけなくて、努力を積み重ねるしかないのです。
それでも、覚悟を持って音楽家を目指すのであれば、同志として、あなたと一緒に素敵な未来をつくっていけたらいいなと思います。
(2022年9月取材)