生田敦子・生田惠子(ピアニスト)

sho59827第3回 生田敦子・生田惠子・Duo A&K(ピアニスト)

生田敦子
ボストン生まれ。5歳よりピアノを始める。森葉子、江崎光代、北島公彦の各氏に師事。PTNAピアノコンペティションE級、F級金賞、デュオ部門上級最優秀賞、シニア部門第1位。フェリス女学院高校、早稲田大学卒業後、リーター財団奨学金を受け、スイス、チューリッヒ芸術大学留学。コンスタンティン・シェルバコフ氏に師事。引き続きフォントーベル財団奨学金を得てジュネーヴ音楽院にて演奏家修士課程修了、合わせてピアノデュオ課程修了。その他、各種講習会等にて、アレキサンダー・イェンナー、パウル・バドゥラ・スコダ、ミハイル・ヴォスクレセンスキー、パスカル・ロジェ、ロベルト・プラーノ他各氏の下で研鑽を積む。2000年ABC新人オーディション合格。新人コンサート出演。2005年IBLA国際コンクール(伊)ピアノデュオ部門第2位及びラフマニノフ特別賞受賞。2011年チマローザ国際ピアノコンクール(伊)ソロ部門第3位及びチマローザ賞受賞他、受賞歴多数。これまでに神奈川フィルハーモニー管弦楽団、イェーナ交響楽団(独)、ルーマニア国立ジョルジュエネスコ交響楽団と共演の他、ソリストとしてアメリカ、スイス、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、ポルトガルにて数々の音楽祭やコンサートシリーズに出演。また、室内楽においてもN響、東フィル、ルツェルン祝祭管弦楽団、チューリッヒ室内管弦楽団、バーゼル交響楽団、キール市交響楽団等のソロ奏者らと数多く共演している。2016年より、草津国際音楽祭公式アシスタントピアニスト。

生田惠子
3歳よりピアノを始める。神奈川学生音楽コンクール総合第3位。PTNAピアノコンペティションE級、F級奨励賞、同シニア部門第1位。東京学芸大学音楽教育課修士課程修了。日欧文化協会オーディション合格。同演奏会(フレッシュコンサート)出演。スイス、チューリッヒ芸術大学留学後、室内楽を専攻。在学中に、チューリッヒ歌劇場第1コンサートマスター、及びチューリッヒトーンハレ・オーケストラ第2コンサートマスターの伴奏者、デューベンドルフ音楽学校の伴奏員等を務める。2005年IBLA国際コンクール(伊)ピアノデュオ部門第2位及びラフマニノフ特別賞受賞。フォントーベル財団奨学金を得てジュネーヴ高等音楽院進学。ピアノデュオ課程にてG.M.カイア氏に師事、その他各種講習会にてコンスタンティン・シェルバコフ、及びパスカル・ロジェ他各氏の下で研鑽を積む。これまでに神奈川フィルハーモニー管弦楽団およびルーマニア国立ジョルジュ・エネスコフィルハーモニー管弦楽団と共演。ニーダーザクセン・ノルトホルン音楽祭、エンガディン音楽祭、フラウエンフェルト音楽祭、大倉山水曜コンサートに出演。

Duo A&K
2003年エンガディン音楽祭におけるラフマニノフの連弾曲の演奏が好評を博し、チューリッヒ芸術大学教授シェルバコフ氏の提案でピアノデュオを結成。イブラ国際コンクールでの受賞をきっかけに活動基盤が広がり、ジュネーヴ音楽院にて正規のピアノデュオとしての研鑽を積む。オーケストラとの共演や本格的なコンサートからエンターテイメント性の高い企画まで、幅広く活動。2014年にOMFレーベルよりファーストCD“Joie de Duo”(連弾の喜び)をリリース。FM東京系列ミュージックバードの”これだ!オーディオ術~お宝版徹底リサーチ~“(DJ:オーディオ評論家村井裕弥)に取り上げられるなど、好評を博している。

1.なぜ、音楽家になったか
<敦子さん>
私が三歳の頃、母方の実家の京都で、クラシック好きの叔母がたくさんレコードを持っていたのを聴かせても3らったら、チャイコフスキーの白鳥の湖などに嵌って朝から晩までレコードを聴きまくるようになり、それがピアノ狂いのきっかけになりました。

でも、我が家は親は勿論、親族にも音楽家なんて一人もいませんから、私は全くのブラックシープでした。「ピアノをやりたい」と親に懇願しても、そう簡単に楽器など用意してもらえません。そこで、叔母が戦前使っていたという小さなおもちゃのピアノをかろうじて譲り受けましたが、なにしろ戦前のものですから、黒鍵は黒く色が塗ってあるだけで、鍵盤はありません。

私は幸い耳はかなり良かったようで、幼稚園で習った歌の伴奏曲程度は、すぐに耳でとれて片っ端から弾いていたのですが、「この音はこの黒い鍵盤の音のハズ」というのを聴き分けているのに、鍵盤がない!(笑)もう、とにかく黒鍵の弾ける「ちゃんとしたピアノ」が欲しくて欲しくて、よその御宅だろうが楽器店だろうが、本物のピアノを見かければ突進していって必死で弾いて…という状態が2年余り。ようやくピアノを買ってもらうまでがすでに長い闘いでした。

それだけピアノが好きなのになぜ日本の音大に行かなかったのかというのは、いまだに簡単に一言で説明するのは難しいです。

中学、高校で全国規模のコンクールで何度か優勝したりはしていたし、ピアニストになりたいという意思は3歳から全く変わっていなかったものの、当時通っていたピアノ教室の先生は御自身の演奏活動などは全くなさらない幼児教育の権威の方で、「演奏家になるための道」というものを示してくれる人は、親・親族を含め周りに誰もいない状態でした。

当時の私の眼には、「日本の音大に行く=ピアノの先生になる」という暗黙の了解というか確固として敷かれているレールしか映らず、日本の音大に行くことで演奏家になれるというビジョンは見えなかった。

同時に、私はピアノは放っておいても弾きまくるに決まっているけれど、「視野を広げる」ということは一般大学に進学するといった手段で(!?)強制的にしないとやらなくなるだろうなと思ったこと、また、西洋音楽という「ガイコク」の芸術を、少しでも自らの母国語として語れるような背景を身につけて、それを武器にする演奏家になろう…という思惑もあり、早稲田大学の独文に進学しました。

もっとも、そんな何の手本もなくけもの道を行くようなやり方で簡単にコトが運ぶわけはなく、大学進学以降、色々思惑とは全く違う展開にとんでもない遠回りをするハメにはなったのですが、最終的には良い御縁に恵まれるようになり、足かけ15年のスイス・イタリア・ドイツでの音楽家修業を経てなんとか今に至っています。

<惠子さん>
音楽家になりたいとは思っていましたが、小さい頃はどうしたら音楽で食べていけるのか、音大を出た後の明確なビジョンが持てず、学校の先生になるという選択肢も考えて教育大学に進みました。

大学でのカリキュラムはしっかりしていましたのでピアノはしっかり学べましたが、音楽科の規模が小さく、ピアノ以外の楽器奏者がほとんどいなかったため、室内楽がほとんど勉強出来ませんでした。また、同時期に行った教育実習を通して、学校の先生よりもやはり音楽家になりたいのだという意思を強くし、大学卒業後の留学を決意しました。スイスを選んだのは姉が先にスイスに留学していたため、教授を直接知っていてコンタクト出来たからです。
スイスには合計8年いました。

2.姉妹デュオのきっかけは
<敦子さん>
私の付いていた先生の講習会に一緒に行き、「余興に連弾の曲もレッスン受けようか」…程度の感覚で用意していた連弾のレパートリーが思いのほか好評で、講習会期間中にあちらこちらのコンサートに出演させて頂くことになり、今後デュオのレパートリーを作っていくことを勧められたのが姉妹デュオ結成のきっかけでした。

ジュネーブ高等音楽院で本来1年の追加コースだった「アンサンブル課程」の入試を受けたら、学長先生がとても気に入って下さって、「せっかくだから2年のコースを新設してあげるから、ちゃんと腰据えてレパートリー作ってデュオの勉強しなさい。」と仰って下さって。ピアノデュオはフランス系のレパートリーに重要なものが多いので、フランス語圏のジュネーヴでフランス人の先生に師事してピアノデュオの専門課程で勉強出来たことはラッキーだったと思います。

<惠子さん>4
スイスでの卒業試験の一環の室内楽試験でピアノ三重奏曲を共演する予定だったチェリストが試験2か月前になって、入りたいオーケストラの入団試験と重なった、とのことで試験での共演をキャンセル、その後ヴァイオリンとのデュオに曲目変更して試験の準備していたところ、試験の1か月前にヴァイオリニストが肩を脱臼して演奏出来なくなり、こちらもキャンセルになってしまいました。1か月しかない状態で優秀な共演者を探すのは不可能に近く困り果てていたのですが、その当時、姉とのピアノデュオで唯一のレパートリーだったプログラムが差し替え曲として時間的に丁度良かったため、急遽姉に共演を頼みました。それが試験の審査員から大変良い評価を頂き、デュオ活動を進めるきっかけの一つになりました。

3.今後の活動予定
<敦子さん>
来年は古巣のスイスでのソロ・室内楽のコンサートの予定もありますが、直近では11月27日のピアノデュオとフラワーアーティストの方とのコラボリサイタル、その直前23日には武蔵小杉のグランツリー開業2周年記念イベントにソロで出演予定です。

今後はヨーロッパ各地、日本国内でも地方などへ活動基盤をどんどん広げていけるように取り組んでいきたいと思っています。

<惠子さん>
今年からIn Vino MUSICAというピアノデュオのコンサートシリーズを始めました。
イタリア語のタイトル通り、ワイン(ソフトドリンクもあります(笑))付きコンサートです。

11月27日に横浜みなとみらいホールで、In Vino MUSUCA第2段としまして、MUSICA e FIORIというコンサートを開催します。今回はピアノデュオの演奏に合わせて、ピアノの横でフラワーアーティストの宮永英之さんがフラワーアートの大作を即興ライブで完成させていく、という大変面白い企画になっています。私達も正直、演奏してないで見てみたい(笑)今回ももちろん、ドリンク付きで、ドリンク片手に演奏もフラワーアートもお楽しみいただけます。お近くの方は是非おいでください!

4.音楽家を目指すみなさまへのアドヴァイス
<敦子さん>
独文時代に出会った、リルケの「若き詩人への手紙」という書簡集の中に、「詩人であってはならないためには、ただ、詩を書かずに生きられる、そのことを知るだけで充分です。」という一節があります。

音楽家に限らず、本気で何かになりたいと思ったのなら、例え周囲の全てがそれに反対しようが、なりたいものになるための手段や方策が手元になかろうが、やってのけるしかないと思います。なりたいと思うものにならない人生でも生きていかれるのなら、あえて無理になろうとしなくてもいいよ・・・という神様の思し召し。2

ただ、どうしてもなりたいのなら、ならずには生きられないことが分かったのなら、それは、残念ながら(!)才能です。どんなに苦労しようが痛い目をみようが諦められないという不治の病みたいなものだと観念して腹をくくりましょう(笑)

大変ですけど、「求めよ。そうすれば与えられるであろう。探せ。そうすれば見出すであろう」です。必要なものは、それぞれの人に最も適切なタイミングで最も適切な形で与えられていくものだと思います。

<惠子さん>
他にも職業の選択肢があるならば、わざわざ音楽家になる事をお勧めはしません(笑)
同様の事を有名オーケストラの奏者の方も仰っていたので、ああ、みんな同じ事を思うんだな、と思った記憶があります。
音楽家を職業として選ぶならば、才能と同時に根性も必要だと思います。

(2016年11月取材)


 

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