豊田愛莉(サクソフォン奏者)

豊田 愛莉(Toyota Airi)
1996年生まれ。東京都出身のサクソフォン奏者。幼少期より自然と音楽に興味を持ち、それに気が付いた両親がピアノを習い始めさせる。中学生になると同時にサクソフォンに魅力を感じ、6年間吹奏楽部に所属。音楽を仕事にしたいと志し、音大への進学を決めると共に、以前から憧れを抱いていた自衛隊の音楽隊を将来的な目標に定める。2015年冬、武蔵野音楽大学1年次在学中に国家公務員採用試験及び自衛隊の音楽隊選抜実技試験に合格。翌年の2016年春、2年生になる前に自衛隊へ入隊。同年10月に兵庫県伊丹市の中部方面音楽隊へサクソフォン奏者として配属。勤務4年目を節目として、自分自身の夢や自分が本当にやりたい事を改めて考えた末、もう一度音楽の研鑽を積むべく学生になる道を選ぶ。2020年春、中部方面音楽隊を退職。現在、尚美ミュージックカレッジのディプロマ科1年生。第11回日本管弦打楽器ソロコンテスト 金賞及び読売交響楽団賞受賞。第21回大阪国際音楽コンクール管楽器部門入選。同コンクールコンチェルトオーディションにてエスポアール賞受賞。サクソフォンを豊田晃生、林田祐和、井上麻子、林田和之の各師に師事。

1.音楽の道に進んだきっかけ

幼い頃、私が音楽を好きなことに父が気付き、小学一年生からピアノを習い始めました。

サクソフォンに出会ったのは中学校の吹奏楽部に入部した時です。
高校でよりレベルの高い吹奏楽部での活動をするために、都立豊島高校への進学を決めました。そこで出会ったのがプロとして活躍されている外部講師の先生でした。
当時、サクソフォンのクラシカルな音色を知らなかった私にとって、その先生の音色は衝撃的なものでした。
学校の仲間たちとアンサンブルのコンクールに挑戦したことをきっかけに、自分の実力をより大きく伸ばしたいと思い、ソロのコンクールにも挑戦するようになりました。

私は幼い頃より絵を描くことも大好きでした。文字通り絵を毎日書いていたと思います。それくらい好きだった絵と音楽、どちらの道に進むか迷ったのもこの高校生の頃でした。
私が音楽の道に進むきっかけは、やはり演奏でした。大きな舞台で演奏し、その会場にいる人々が音楽で一つになる、その経験が忘れがたく、言葉に表せない充実感と幸福を感じ、この道に進みたいと思いました。

少し遅いスタートでしたが、そこから、音大に進むことを決意し、両親を説得しました。
音大に進むからには、卒業後の進路のことをよく考えなければならないと思っていました。
私の父は、自衛隊がとても好きで、私を自衛隊のイベントによく一緒に連れて行ってくれました。自衛隊の演奏会にも連れて行ってもらって、「音楽やるなら、自衛隊に入ってほしい」と言われていました。
今まで両親に育ててもらった恩もあり、父を喜ばせたい気持ちも相まって、自衛隊の音楽隊に入隊することを大きな目標に音楽の勉強を本格的に始めました。

高校在学時より、自衛隊の音楽隊採用試験を受けて、採用された時点ですぐに入隊することを決めていました。
しかし、音楽大学での経験は自分の想像していた以上に大きく、音楽大学という場所でしっかりと4年間勉強したいという思いも、大学入学後大きくなっていきました。
しかし、自衛隊の試験に慣れたい思いもあり、音楽大学1年生の時も自衛隊の採用試験を受けました。将来の採用試験の練習のような気持ちでした。
しかし結果は採用、つまり合格でした。
採用の通知を受けた時には、私は喜びよりも戸惑いを感じたことを今も覚えています。何度も葛藤し、一人で何度も泣きながら悩みました。
しかし、勉強したい自分の気持ち以上に家庭が3人兄弟であることや、家庭の金銭的な事情のこともあり、少しでも両親の負担にならないようにしたかったため、大学を中退し自衛隊に入隊することを決意しました。

自衛隊の仕事は仕事として誇りの持てるものでした。
しかし自衛隊での音楽活動が本当に自分にとって幸せなものかという部分はずっと疑問に思っていました。
何故ならば、自衛隊に入隊することを決定したきっかけは「父の願い」であり「家計の安定」であり、よく考えなおしてみれば、自分自身がそこに「いたい」と思うモチベーションが何もなかったのです。私は、4年間の自衛隊勤務を節目として、音楽隊を退職することに決めました。

自衛隊は希望者に再就職支援の一環として職業体験の機会を設けてくれています。
私は母が保育補助の仕事をしていることもあり、保育園での職業体験を選びました。
その時、「パプリカ」で子どもたちが楽しそうに歌い踊っていたのを見て、「私は、自分の演奏で喜んでもらいたい」と心から思いました。
「保育」という、子供たちと関わり合いながら共に成長する仕事も幸せだと感じる傍ら、音楽を聴いて喜んでいる子供たちを見て、やはり私は音楽で人と喜びを共有する仕事をしたいという気持ちを改めて強く持ちました。

自衛隊で勤務しているときから、同年代の音楽を学ぶ学生たちを意識する瞬間は少なくありませんでした。自分自身が勉強をしたかったその時間を私は自衛隊での勤務で過ごし、その間にほかの学生は勉強をしているということを意識せずに過ごせる時間が少なかったのです。
尚美ミュージックカレッジ専門学校のディプロマ科に尊敬する先生がいらして、先生に相談したところ「うちで面倒見るからおいで」と言って下さり、それが自衛隊退職と学生へと立場を変える一番の決め手になりました。
自衛隊勤務の傍ら尚美ミュージックカレッジ専門学校のディプロマ科を受験し、なんとか合格することができました。

専門学校の学生になってからは、環境ががらりと変わりました。

自分が学びたいことを、学びたいときに、学びたいだけ学べる環境はすごく幸せだなと感じています。

ディプロマ科に通う学生の年齢層は様々でした。色々な環境で音楽を続けている方々との交流はとても刺激になっています。
また、授業が実技中心の学科なので、自衛隊を辞める時に、こんなに何時間も吹き続けられるとは思っていませんでした。
自衛隊に所属していた時は、自分の思うように練習時間を確保できない時もあり、そのようなときは休む時間を惜しみながら空き時間で練習することもありました。

現在の状況としては、自衛隊時代に稼いだ分の貯金を使いながら、自分の勉強したいことや知りたいこと、自分の過ごしたい時間を過ごすことを心がけています。

2.今後の目標

卒業後は、フリーランスのサクソフォン奏者になろうと決めています。
ありがたいことに、生徒さんとの出会いに恵まれました。
今後は少しずつ自分の認知度をあげていきたいと考えています。自衛隊音楽隊に所属していた人としてではなく、自分の純粋な力や音楽観を認知してもらえるよう活動をしていきたいと考えています。
また、私はフリーランスと自衛隊の両方の経験を持つ立場の人間です。
将来フリーランスを目指す音楽家、あるいは自衛隊音楽隊を目指す若者に出会ったときに、しっかりと自分のやりたいことが何なのか、そのためにどこに所属するべきなのか、そのような相談も乗れるようになりたいと強く思っています。
現在はこの時代の流れにのっとり、テクノロジーと共存した音楽の形を模索しています。
その一つに仲間内で演奏を披露しあう「試演会」をする傍ら、それを配信する活動も行っています。音楽家にとって演奏をする場所は、「職場」でもあり「居場所」です。それを提供できるような活動もしていきたいと思っています。

現在は純粋な人気楽曲の演奏そのものは飽和状態だと思います。
自分がSNS活動を本格化させる際には、人とは違うことをできるようにしたいと考えています。

また、私の好きな絵やデザインの技術や知識を改めて活かしていき、フライヤー制作やHP制作の技術も身につけていきたいと考えています。

3.音楽を目指す方へのメッセージ

やっぱり音楽は心ありきなので、心が不健康では演奏に響きます。
ストイックになればいるほど、心に余裕がなくなります。
音楽を続けていきたいと思う人ほど、一度立ち止まって休む時間を持ってほしいです。
休むことも、自分にとって大事なことです。

私の周りで自衛隊の音楽隊を志願する人は多く、その大多数の方は「収入の安定」を求めているように思います。
しかし「安定」と自分のやりたいことが一致するとは限りません。

自分は、一度自衛隊音楽隊を経験してから、フリーランスの音楽家になりましたが、私の周りのフリーランスの方々は、充実した想いで、音楽活動をしていらっしゃいます。

もちろん、自衛隊の音楽隊も素晴らしいところです。

私自身、自衛隊という職場で経験したことと、フリーランスの音楽家として経験したことを合わせて、より充実した活動をしていきたいと考えています。
読者の方も色々なことを経験しながら、自分の道を見つけていってほしいなと思います。
今の私も自分の道を見つけている最中です。

(2021年1月取材)


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