石田 雄樹(トランペット奏者)
千葉県千葉市出身。15歳からトランペットを始める。トランペットを宮澤 聰宏、山本英司、各氏に師事。
これまでに東京ディズニーシー BIG BAND BEAT!!社交ダンスホールの専属バンドなどを歴任。現在、DADADA HORNSをはじめ、横浜ケントス Brother Hood、Ephraim、歌って踊れるブラスバンド SWB などのバンドに所属し活動すると同時に、銀座ケントスなどケントス系列各店でも出演している。
また、さまざまなアーティストのライブ、レコーディング、MVなどに参加しており、スキマスイッチ、松本伊代、倖田來未、篠原ともえなど数多くの著名アーティストのサポートに携わっている。
山川 貴史(トランペット・キーボード奏者)
1988年生まれ、北海道出身。音楽大学在学中よりミュージシャンとして活動を開始。卒業後は音楽・ゲームを中心とした動画クリエイター、ストリーマーとしてマルチな才能を発揮する。各種配信プラットフォームのコミュニティやSNSを活用した広報・マーケティングにより、製作したコンテンツの総再生数は10,000,000を突破。現在は WHY@DOLL / イケてるハーツ / エラバレシ などメジャーアーティストのサポートを主軸にフリーランスとして活動中。
江藤弘憲(トロンボーン・オカリナ奏者、作詞家)
東京都北区出身
ジャズトロンボニストとして、様々なライブ、レコーディングや、東京ディズニーシーでのショー出演など多方面で活動。
オカリナ奏者としては、ソロ活動を中心に、幻想楽団『骨董書店』、シルクロードミュージック『渡来堂 TOLAIDO』などを主宰し、演奏から作曲、作詞、脚本、演出までを手掛ける。
宮本 道隆(サックス・フルート奏者、作曲家、編曲家)
福岡県出身。洗足学園音楽大学ジャズコース卒業、Bob Zung氏に師事。
大学在学中、クラブジャズバンド「Tough&Cool」に所属し、アルバムを3枚リリース、楽曲が報道ステーションのスポーツコーナーに起用される。同時期、ジャズベーシスト藤原清登氏のグループに加入、アルバム「Jump Monk」を収録し、リリース記念全国ツアーにも出演。
卒業後も様々な仕事に携わり、中洲ジャズやSummerSonicなどのフェスへの出演、ポップスアーティストのサポートなど音楽家としての活動の傍ら、洗足学園音楽大学公認インストラクター及び非常勤講師として後進の育成や、音楽教室でレッスンを行うなど、音楽の普及に努めている。
2023年7月4日渋谷クロスFM『音楽マンションプレゼンツ Life with Music』出演映像アーカイブ
DADADA HORNSさんが集まったきっかけについて教えてください
おりしもコロナ真っ最中。
江藤と石田は、それまで出演していた『千葉県の某テーマパーク』でのレギュラーショーが儚くも解散となり、突如生まれた何もない時間を持て余していました。
当時のミュージシャン界隈は、みんながみんな似たような状況にいたように思います。
「このままでは生ける屍と化してしまう」と考えた江藤と石田は、同じく時間を持て余していた管楽器奏者を集め、『ホーンセクション練習会』を始めました。
そこに集まったのが、元々はアイドルやアーティストサポート、島村楽器講師などで活躍していた山川と、ちょうど地元福岡から演奏活動の拠点を東京に移してきた宮本の二人。
二人は江藤とは大学時代の旧友です。
かくしてホーンセクションというスタイルの演奏を研究することに端を発したこの集いは、やがて〈DAADADA HORNS〉と名乗り、Youtubeでの動画配信を中心とした活動へと発展していきました。
それぞれの音楽に出会ったきっかけと、その後の音楽活動を教えてください
江藤:楽器との出会いは中学校の吹奏楽部でした。トロンボーンを吹き続け、高校に入る頃にはプロになるべく音大進学を決意。
元々JAZZに興味のあった私は、当時唯一JAZZの専攻があった洗足音大に入学しました。
20代前半はビッグバンドや中南米の音楽を中心に日々ライブに明け暮れ、20代後半からは主にPOPSのバンド活動に熱を上げていました。
その後テーマパークのオーディションのお誘いを受け通過。ショー出演の傍ら色々な活動をしてきました。
トロンボーンの他に、オカリナ奏者としての活動や作詞家としての仕事など、様々なスタイルの創作活動をおこない、それは今も変わらず続いています。
石田:バスケ部員として汗を流した中学時代から一転、高校入学時に友人の勧めで見学に行った吹奏楽部でこわ~い先輩の(半ば強制的な)勧誘により、晴れて吹奏楽部員となってしまいました。
その後、トランペットにハマっていくとは思いもしませんでした。
高3になる頃、『まぁ適当にラッパ吹きながらふらふら生きていけりゃいいかな~』と思っていた僕ですが、これまた顧問の先生の(うむも言わさぬ)進路指導で尚美ミュージックカレッジという音楽の専門学校へ進学することになります。
専門学校を4年で卒業した頃にはすでに音楽業界での仕事を頂けていたので、20代から様々な現場で先輩にしごかれながら色々な経験をさせて頂きました。
有楽町のダンスホール。鶯谷のダンスホール。銀座、横浜のオールディーズの老舗〈ケントス〉。テレビやツアーのアーティストサポートなど……沢山の思い出があります。
その後、難関オーディションを突破しテーマパークのレギュラーバンドに参加。今に至ります。
山川:父親の音楽好きもあり、幼少期から音楽教室に通い、小学生の頃からピアノを始めました。
中学校で吹奏楽部に入部する時には、可愛い先輩がいたホルンパートを希望するも先生の「男は黙ってトランペット」の一言であえなく撃沈。トランペットとの付き合いが始まりました。
父の音楽好きは変わらず、家にはバンドのCDやギターが沢山あり、高校時代はバンド活動一色。
トランペットもギターもピアノもなんでも演奏する性質は、この頃から変わりません。
吹奏楽部顧問の先生の勧めで洗足音大のJAZZコースに入学。
卒業後もバンド活動が中心で、アルバイトをしながらバンドに明け暮れる真っ当なバンドマン人生を歩んでいました。
28歳の頃に島村楽器の講師という仕事を始め、気がつけばメジャーアーティストのサポート演奏など色々な音楽の仕事も頂けるようになっていました。
宮本:楽器との出会いは小学六年生。珍しくブラスバンドがある小学校で、そこでサックスを吹いたのが始まりです。
中学校進学と同時に、なし崩し的に吹奏楽部に入部。その後、高校で楽器は辞めるつもりだったのですが、楽器経験者ゆえに吹奏楽部に強く勧誘されて入部。
気がつけば音楽と人生は切っても切り離せないほど強く重なっていて、やがて「音楽で食っていく方法はあるのだろうか?」と考え始めました。
音大に進むことを考えましたが、両親は反対。しかし、入念にプランを練り、資料を作成し、人生設計を両親にプレゼンした結果、教職課程を取ることを担保に音大受験を認められました。
だが、音大に進んでもサックスという楽器の性質的にクラシックで生き残っていくのは厳しい。
ならばポピュラーミュージックに活路を見出そうということで、当時唯一ジャズの専門コースがあった洗足音大に進学。
大学では実技、座学ともに実践的なメソッドで技術と知識を身に付け、卒業後は東京と地元福岡を拠点にスタジオミュージシャンとして活動していました。
今後の展望を教えてください
今後も変わらず、YouTubeでの動画配信に力を入れて行きます。
それと並行して、去年は〈歌い手〉さんのライブサポートや、島村楽器主催の『ホーンセクションセミナー』なども行いました。
アマチュアの方々に、謎の多い〈ホーンセクション〉という分野をもっと知ってもらって、このスタイルの演奏を誰もが気軽に行える環境を整えることが出来たら良いなと考えています。
とにかく、ホーンセクションという存在を広めることを目的にやっています。
また、個々人としても石田がケントスのレギュラーバンドでの演奏をスタートしたり、宮本が福岡中洲ジャズへの出演が決まっていたりと、精力的に活動していきます。
音楽を目指す人へのメッセージをお願いします
山川:『とにかく、どんな形であれ、辞めないこと』
人前に出て演奏しなくても、音楽を続けていけば、巡り巡っていろんなチャンスがやってきます。
石田:『辞めないこと!』
相当の信念と、断固とした決意を持って欲しい。
何もない僕に唯一あったのは、根性でした。
どんなことがあっても、めげない。
どんなに辛い事があっても、いつか見てろよ! という決意でやってきました。
辞めないこと、負けないこと、自分を曲げないことです。
宮本:『ご利用は計画的に!!!』
自分の人生を誰かにプレゼンしてみましょう。
プロになると決めたのであれば、気持ちだけでなく、思いを人に伝えるのも大事です。
それによって、自分の本気が分かります。
しっかりビジョンを立てることが出来れば、たとえその通り行かなくても、違う道も見えてきます。
プランニングが大事です。しっかり、自分を見つめてみてください。
江藤:『多様性』
勿論、音楽を続けることが大事だと思います。
でも、音楽の続け方って色々な方法があるので、プロミュージシャンとして楽器の演奏をすることだけが音楽の生き方ではないと思います。
めげそうになる人もいっぱいいますが、もし本当に辛かったらめげてもいいんです。
「音楽でお金をもらうこと」、「良い作品を作ること」、「ライブの後に冷えたビールを飲むこと」──
何が一番大事かは人それぞれで、きっとその人にあった音楽との付き合い方があるはずだと思います。
頑張りながら、たまには肩の力を抜いて、自分が一番大切なものを振り返るのも良いかもしれません。
(2023年7月取材)