大須賀恵里(ピアニスト)

桐朋学園大学音楽学部卒業。蓼科高原音楽祭で音楽祭賞を受賞。 内外の著名演奏家と数多く共演する他、国際音楽祭にて著名ヴァイオリニストのマスタークラスピアニストを多数務めるなど貴重な室内楽ピアニストとして第一線で活躍。桐朋学園大学音楽学部弦楽科嘱託演奏員・国立音楽大学声楽科伴奏助手歴任。2010年夏より「信州クロイツェル音楽村」を主宰。2011年元ウィーンフィルコンサートマスター ダニエル・ゲーデ(Vn)とモーツァルトソナタCDをオクタヴィアレコード、2015年上原正敏(Ten)と、おとなのための童謡曲集‘赤い靴’をナミレコードよりリリース。
2013年~2015年ピアノ室内楽シリーズ‘Andiamo’(全3回)開催。
絶賛され大きな話題となり、2016年より新たに若手演奏家支援を内容軸とするAndiamo part 2 シリーズを九州筑豊、水戸佐川文庫、2017年東京浜離宮朝日ホールにて開催。
2020年秋より川口リリア催し広場にて大須賀恵里プロデュース「リリアの室内楽」もスタート。2017年1月より毎土曜・日曜朝7時~8時、金曜夜11時~再放送、FM川口 E-friends~世界に羽ばたく音楽家たち~パーソナリティを務める。
オフィシャルサイト http://eriosuka.sakura.ne.jp/

2021年2月16日渋谷クロスFM『音楽マンションプレゼンツ Life with Music』出演映像アーカイブ

1.音楽家を目指したきっかけ

小さい頃自宅応接間に、家具のようにピアノがありました。
そこで、近所のお年を召したピアノの先生に兄と通いだしました。

しばらくして、母親が私立小学校への受験を考えていると幼稚園へご相談に伺うと、「お受験するなら社会経験を積んだ方がよい」とアドバイスいただき、ちょうどその時目に留まった、NHK教育テレビ「ピアノのお稽古生徒募集」へ、はがき一枚投函しました。
なんと!2000人位の応募者の中で、NHKが選んだ2人に残り番組出演させて頂きました。
そのピアノ教師が桐朋の先生、今や生涯の恩師で、このご縁を機に私の人生は変わりました。

年長で桐朋の音楽教室幼稚科に通い始め、「音が鳴ると三和音がすぐに言える」まさしく英才教育が始まりました。
お受験を辞めて、区立の小学校へ行き、桐朋の音楽教室に毎週通い、ピアノ中心の生活が始まりましたが、練習をしないと気持ちが悪いと感じるくらい‘ピアノ’という存在が自然と自分の中へ入り、リトミックや聴音、ソルフェージュをお友達と楽しく学びました。

私の時代の桐朋学園は、高校大学も桐朋学園音楽科に進む人しか通わないほど、厳しい場所でした。
私も当然、そのまま受験をして桐朋高校に行くつもりで頑張っておりましたが、中学3年生夏、血液の病気にかかり、受験できなくなってしまいました。
都立芸術高校入試は自由曲を一曲弾けば大丈夫でしたので、桐朋の音楽教室卒業試験曲を弾きました。

都立芸術高校には、「伴奏法」という歌曲伴奏の授業が必修科目としてありました。
ピアノソロの実技試験同様に毎学期伴奏法の試験もあり、高校の先生方には、「あなたは伴奏アンサンブルの道に進みなさい」と何度もおっしゃって頂きました。仲良しのお友達がバイオリン専攻で、彼女の伴奏もさせていただき、バイオリンの先生方からも、「あなたはその道に行きなさい」と勧められました。

大学は、桐朋学園大学音楽学部に行きました。
その頃には既にチャンスがあればアンサンブルの勉強をしたいと考えておりました。
都立芸術高校から一緒に入ったバイオリン専攻の友達の伴奏も入学当時から弾かせていただき、ご縁を頂いたバイオリンの先生方も、生徒さんの伴奏担わせて下さり、学生時代からたくさん経験を積ませて頂きました。

バイオリンの伴奏や室内楽の仕事を続けながら結婚、息子も産まれました。
当時は、生まれたばかりでも、シッターさんをお願いし演奏会の前にはピアノを練習していました。
しかし、息子が産まれたばかりの大事な時期、シッターさんを頼んでいることに迷いがありました。
そんな矢先、35歳で主人が突然心不全で亡くなりました。息子は1歳でした。

ピアノを辞めてどこかに就職しなければいけないか?と迷い、それまで伴奏などで大変お世話になっておりましたチェリスト徳永兼一郎先生にご相談させて頂きました。
すると「君のピアノは もう大丈夫だ!逃げ場がないから。ピアノを弾きなさい。コンサートをやろう!チェロは僕が弾く」と先生からおっしゃって下さいました。
また、「どんな凄い先生でも、一緒に弾きたいと思う演奏家の名前を言ってごらん」とお話くださったので、「ヴァイオリニストの原田幸一郎先生!」と思いきって申し上げましたら、「おー!幸一郎いいね!いいね!」と。
それで私は、当時最高の震えるようなメンバーの先生方をお迎えし、1995年自主ピアノ室内楽コンサートを開催させて頂くことになりました。

主人が亡くなってから、風が吹いても、葉っぱひとつ見ても優しく感じて涙が出てしまう・・・心はとても繊細な状況でした。
そんな自分と向き合う中「今の私なら、ピアノを弾いてもいいのかもしれない」と思い、弾き続ける道を選び 大先生たちの胸をお借りしながらその後10年間コンサートご一緒させて頂きました。

生涯の夢として、「スタインウェイのピアノを持つこと」に憧れていましたが、主人が亡くなった時に、主人の命、形見としてスタインウェイのピアノを買いました。ピアノ人生への覚悟のためでもありました。
今は、息子が同じ道を歩んでおりますので、そのピアノを弾けば主人が喜び応援してくれると思っています。

私の人生いろいろな事件が起きますが、何故かいつもピアノが残ります。
楽器を素晴らしくうまく弾ける人は、星の数ほど居ます。
大きなコンクールで入賞された伴奏ピアニストもたくさんいます。
でも、私は、20歳の頃から、コンクールなど伴奏者として、休む間の無いほど、弾かせていただいて参りました。留学したいとも思えぬほど、色々なコンサート、練習に追われました。

仕事が無いということは、自分の実力が足りないということ! もし仕事がなければ、「自分には、選ばれない理由がある」と自分に言い聞かせます。常に冷静に自分自身と向き合う努力をしています。
音楽家には、人間力も必要です。音にも怖いくらい「人となり」が出ます。

ピアノに愛情を注いでいる人がほとんどですが、「仕事」と割り切り生活の道具としている人もいます。
演奏を聴くと、自然とその人の生き方が現れます。
「この人と一緒に演奏したい」と思って頂けるようなピアノを弾けますよう精進したいと思います。

2.想いやこれからの未来

自主公演開催からもう25年経ちます。
巨匠の先生方と一緒にステージに立たせていただいた経験は私の宝物です。
これからは 感謝と恩返しの人生にしたいと思っています。
微々たる力ではございますが、若者たちが喜んでくださるような演奏のチャンスを作りたいと考えております。

自主公演集大成として、2013年~2015年「Andiamo(共に歩もう!という意味)」と名付けた室内楽演奏会を大企業の会社にサポートしていただき、3回開かせていただきました。
一回目は、原田先生や毛利先生の巨匠の先生方と。
二回目は、同僚、N響の仲間たち、ダニエル・ゲーデさんなど同世代の音楽家たちと。
三回目は、これからを担っていく若者たちと。

 

お陰様で大好評頂き、現在 Andiamo Part 2が九州筑豊、水戸佐川文庫でスタート、ラジオ番組も持たせて頂いております。
ラジオ、スポンサー様がジャガー。番組名をAndiamoイタリア語ではなく英語にしてくださいと言われましたので、私の一番大切なものは「仲間」と考え、「E-friends~世界に羽ばたく音楽家たち~」と致しました。Eは 恵里のE,アンサンブルのEでもあります。
ちょうど、10月の終わりで4年半200回を迎えます。
外国へ留学している若い演奏家たちから、ご自分の声で実情を話して頂き、コンサートの紹介など届けて頂くボイスメッセ―ジを送ってもらっています。

また、この秋から川口のリリアホール一階催し広場で「リリアの室内楽」というシリーズをはじめさせていただきます。
優秀な若手音楽家と一緒に学びながら、人間味をプラスした公演内容にしたいと考えています。
第1回11月1日の公演は、「モーツァルトって何色?」というコンセプトでステージライトを変えたりしながらお客様とも対話出来たら?と企画中です。

3.音楽家を目指す方々へのメッセージ

『先を急がないでください。紙一枚ずつ積み重ねる世界です。』
コンクールで受賞する道もありますが、結果にとらわれないで演奏家として自分の中で一番素敵なことを見つけてほしいです。

小さい音なら、誰よりも美しく弾ける。
ダイナミックな音なら、誰よりも幅広く雄大に表現出来るとか。
自分の一番輝ける原石を早く見つけ、それを磨き上げてほしいです。

「また演奏会へ行きたい」「聴きたい」と聴衆に思って頂ける音楽家を目指して頂きたいです。

(2020年10月取材)

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