Anyango(ニャティティ奏者)

Anyango アニャンゴ

東京生まれ。アフリカの音楽に魅了され、単身ケニア奥地の村で修業し、現地でも限られた男性だけに演奏が許されているニャティティの世界初の女性奏者となる。日本国内だけでなく、アフリカ、ヨーロッパなどでも広く演奏活動を行っている。2009年News Week日本版で「世界が尊敬する日本人100人」に選出される。2010年8月、日本で一番大きな野外ロックフェスティバルであるFUJI ROCKに出演し、ワールドミュージック部門のベストアクトに選ばれる。2011年11月、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演。2012年8月、『アニャンゴの新夢をつかむ法則』を出版。2013年、ドイツ・イタリア・フランス・ケニア・アメリカにてワールドツアー。10月、ミニアルバム 『ALEGO』~ニャティティの故郷~をリリース。テレビ東京「CrossRoad」に出演。12月、『翼はニャティティ舞台は地球』(学芸みらい社)を出版。2014年9月、5thアルバム『Kilimanjaro』をリリース。2015年8月、戦後70年に東京・広島・長崎で開催された「国連合唱団 平和と希望のコンサート」にゲスト出演。10月、6thアルバム『Savanna』をリリース。2016年DVD『Anyango Live in Tokyo』リリース。ケニアで初のベスト盤をリリース。2017年1月、毎日放送(TBS系列)新春特番「2017年実はこの人…世界オンリー1」に出演、『アニャンゴ・ケニア・ベスト』を日本でもリリース。11月、日本とケニアの10年に渡る文化親善活動に対し、東久邇宮文化褒賞受賞。2018年、「ニャティティ」というケニアの伝統楽器で世界初の女性奏者となった著者アニャンゴによる、ケニアの人たちとの交流から知った人生の素晴らしさをニャティティの調べとともに綴った8つの歌とエッセイ集、『ニャティティの歌』を出版。

2019年、Anyango初のレコード「KAMBA NANE」を発表。2021年、5年半ぶりのフルアルバム『KANKI』をリリース。

日本ケニア文化親善大使。Anyangoとはルオ語で、「午前中に生まれた女の子」という意味。

Anyango HP : anyango.com

Nyatiti

ケニア・ルオの伝統弦楽器。もともとルオの選ばれた男性だけが演奏することを許された神聖な楽器だった。右足首につけている鉄の鈴は「ガラ」という。右足親指にはめている鉄の輪は「オドゥオンゴ」という。ガラを鳴らし、オドゥオンゴをニャティティの木のへりにゴツゴツとあてて、リズムを生み出す。ヴォーカルとストリングス(弦楽器)とパーカッション(打楽器)の三つの動作を同時に行うのが特徴的である。弦は8本の釣り糸(ナイロン弦)でできており、太さは三種類。昔は弦にメス牛のアキレス腱を使っていたそうだ。ビーンビーンと長く、渋く響く音の秘密はサワリの部分。細い竹のようなもの(ヨシ)2本と木片が蜜蝋(みつろう)で止めてある。

どうして音楽の道に進んだか?

青山学院中等部のとき、「今を生きる」という映画に出会い、とても感銘を受けました。
そこから、「今を生きよう」というマインドになり、毎日髪の色を変えたりしはじめます。
心の底から、湧き上がるエネルギーをどう使ったらよいのか?と考えはじめたからです。
高2の時、ライブハウスで出会ったメンバーとバンドも始めました。

4歳から始めたピアノを高2の秋の発表会で辞めることにしました。
その為に必死に練習していたら、急にピアノが応援してくれるような温かいエネルギーを感じ、一体化して練習ができました。
のちに、私がニャティティの修業を始めようとしたときに、ケニアの友人のミュージシャンがこうアドバイスしてくれたのです。
「アニャンゴ、楽器を愛しなさい。あなたが、楽器を愛すれば、楽器もあなたを愛してくれるだろう」
楽器は生きている。
それをピアノから教わりました。
それを最後に、「歌い手」になる準備を始めることにしました。

大学生のとき、ニューヨークに音楽修業の旅に出かけることにしました。
もうすぐ、憧れのニューヨークに到着というとき、飛行機はUターン。というのも、その日が、ちょうど9・11米国同時多発テロ事件の当日だったのです。
失意のどん底で日本に戻ってきて、出会ったのが、ケニアの音楽でした。

「ブルケンケ」というケニアの音楽バンドに入って活動を始めました。
でも、夢中になればなるほど、本場ケニアに音楽修業に行きたいという思いが強くなりました。
ところが、両親、特に父親は大反対。というのも私は一人娘だったからです。
それでも行きたかった私は、「1か月で帰ってくるから」と言い残して、2人のバンドのメンバーと旅立ちました。

ナイロビに到着し、ボーマス劇場近くの小さな酒場で、「恵理子歌え」と言われて、『ブルーシ』という伝統曲を歌いました。
スワヒリ語もろくに話せない外国からやって来た娘が、現地のギリアマ語で歌うので、皆さん、びっくりしていましたが、一気に仲良くなりました。
私がニャティティに初めて出会ったのも、そのボーマスです。
しかし、ニャティティは、ルオー民族のしかも選ばれた男性だけが演奏を許された神聖な楽器だったので、教えてもらうまでには、大変な苦労がありました。

翌年の3月、再びナイロビに行き、ナイロビの師匠にニャティティを習い始めました。
その師匠が「アニャンゴ」と名付けてくれました。
ニャティティに魅せられ、弦が血で赤く染まっても、練習しつづけました。

そして、1か月後、ナイロビの師匠の大師匠(オクム・オレンゴ)に会いに、カラプール村に4時間かけて行きました。
着いたものの、大師匠は現れません。
やっと会えた時、「ニャティティを弾いてみなさい」と言われました。
弾いた後、「女性には教えない」と言われました。

断られても断られても、大師匠の家に通い詰めました。

4日目に、「ニャティティを教えることはできないが、この村には滞在していい」という許可をいただきました。
そして、私のニャティティをチューニングして、一曲弾いてくださり、
「あなたが本当に正しい心の持ち主かを見極めてからだ」とおっしゃいました。

5月に大師匠の家に引っ越し、水汲みや薪拾いなどの家の仕事を手伝って、時間があるとニャティティの練習をしていました。

大師匠は、手取り足取り教えてくれることはありません。
ものすごい速さで弾いてみせてくれて、それを必死に見て、練習するのです。
のちに、世界の大舞台に立った時、それが、どんなに素晴らしい練習方法だったかを痛感するのでした。

大師匠の卒業試験を受け、認定証をいただきました。
今も、亡き大師匠の言葉を胸にニャティティを演奏しています。

「世界中に出かけて行ってこの楽器を奏でてきなさい。私の行けない所まで、あなたが行って、この楽器を奏でてきなさい。」

今の活動と今後の活動

Anyangoとしては8枚目のアルバム「KANKI」を5月にリリースしました。
今回初めて、日本語で全曲を歌うという初挑戦です。
http://www.yagijirushi.com/order/anyango/
是非、聞いてください。

実は、次のアルバムの予定もあります。コロナ禍で、さまざまなイベントがキャンセルになったので、創作意欲がむくむく湧いてきて、40曲以上書きました。
スタジオで曲を作るのには、拍車がかかりました。
「KANKI」に収録した以外の曲を来年アルバムとしてリリースする予定です。
とにかく、コロナの2年間は、制作にシフトしていました。

コロナが収まったら、パフォーマンス、ライブイベントも再開していきたいと思います。
また、ケニアに、4年里帰りしていないので、ケニアに「里帰りツアー」したいとも思っています。
もう大師匠は、居ませんが、まだ大事な家族がいます。

音楽を目指す方へのメッセージ

お伝えしたいことが二つあります。
一つ目ですが、私がケニアに渡って、ニャティティに出会ってほれ込んだわけですが、ニャティティを始める時に、ケニアの友人が言ってくれたことです。

「アニャンゴ、まずあなたがこの楽器を愛しなさい。
そうすれば、この楽器もあなたを愛してくれるだろう」

と言っていただきました。

年を経ればへるほど、この言葉の深みや真理が分かってきました。
この言葉を胸に、ずっと演奏してきましたし、これからもそうしていきたいと思います。

二つ目は、「諦めたら、そこで終わり」私も、このニャティティに出会って、諦める機会は山ほどありました。
いくらでも壁がありました。
そもそも、このニャティティは、「ケニアの選ばれた男性だけが弾くことを許される」楽器であり、しかも「外国の女性が弾くことはおろか、触ることすらタブー」だと言われていました。

どうしてもニャティティにほれ込んだ私は、「そこをなんとか、教えてください。真剣にやります。絶対に途中で投げ出しません。」と何とか食らいついて、最終的には、弟子入りを認めてもらいました。
もちろん、簡単に認めていただいたわけではないです。
何度も断られました。
しかし、師匠と一緒に生活を始めることになっても
「楽器を教えるかは、あなたが正しい心持ちをもっているかどうかだ。」
と言われ、なかなか楽器を教えてもらえませんでした。

電気も水道もない村だったので毎日水汲み、薪拾いをしました。

アフリカの奥地の村なので、マラリアにも何度もかかりました。
まず、ルオー語を覚えるために、スワヒリ語を覚えました。
そこで、しんどいとあきらめていたら、今のアニャンゴはなかったと思います。

やっとニャティティを演奏できるように、師匠に認めてもらえるようになってからも、「心無いアンチ」からの批判はもちろんたくさんありました。
当然ですよね。
歴史的にも伝統的に外国人、そして女性が触ることがなかったからです。

「伝統を破壊することにつながるのでは」とか
「どうせ、外国人がやってきて、軽い気持ちのお遊びで、自分たちは使い捨てにされる」
など、現地の方々の背負った歴史の悲しみもあります。
きっと大師匠も私と同じようなことを言われていたと思いますが、誇り高い師匠に出会えることができて幸せでした。
アニャンゴを守ってくれて、お稽古に集中できるようにしてくれました。
ご家族もとても良い方たちで、心から歓迎してくれて「オクム師匠の娘、アニャンゴ!」と呼んでくれました。
そんな中で、師匠に報いたい、村の人たちに報いたいと思って頑張ってきました。
だから、今のアニャンゴがいます。

どんなことがあっても、その楽器のことを愛して、追及していって欲しいと願っています。あなたが、楽器を愛すれば、楽器もあなたを愛してくれると思います。

 

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