妃乃 あんじ(一般社団法人ハーグ 代表理事)

一般社団法人ハーグ 代表理事
元宝塚歌劇団月組

2001年第89期生として宝塚音楽学校に入学。
2003年宝塚歌劇団に入団。
芸名「妃乃あんじ」として、月組公演『花の宝塚風土記/シニョール・ドン・ファン』で初舞台を踏み、その後月組配属となる。娘役として9年間舞台を務め、2011年『アルジェの男/Dance Romanesque』で宝塚歌劇団を退団。
退団後、同年2011年3月11日発生した東日本大震災の復興支援活動のボランティア活動を行う。
2012年南三陸町復興応援大使に任命。
2014年2月被災地支援を継続的に行うため「一般社団法人change」を設立。
2017年10月活動を被災地に限らず全国に拡大するため「一般社団法人ハーグ」を設立。
ありのままのキミを受け入れHug(ハグ)するという意味を込め、現在全国の子どもたちを対象とした全員参加型ミュージカル「なりきりステージ」を宝塚歌劇団出身者と共に活動。
現在は、元タカラジェンヌが贈るミュージカルショー「THIS IS ME」等、自身で脚本を書きおろしミュージカルやショーステージを制作。
宝塚歌劇団出身者と共に、被災地復興支援をはじめ地域貢献、企業様等のイベントや、子ども情操教育など活動の場を広げる。

宝塚を目指されたきっかけ。

急に父が土下座して「宝塚に入ってくれ」と言ったのがきっかけです。
娘が「タカラジェンヌだ」と自慢したかったみたいですね。
それから、宝塚を見に行かせてもらい、宝塚受験スクールに入りました。
でも、一回目の受験は残念ながらご縁がなく、二回目で合格しました。
落ちたおかげで、「自分の意志で宝塚に入りたかったんだ」と気づきました。

宝塚の音楽学校は、学校に近い子は、寮に入らないのですが、私の時は、4人だけが、寮外生で、母たちは、残り同期46人分のお弁当を作ってくれたり、サポートをたくさんしてくれました。
まさに母と二人三脚での宝塚人生でした。
そんなとき、母が病に侵されていると知り、私のために、頑張ってくれた母の看病を納得するまでしたいと、退団を決意しました。
宝塚は、退団を意志を出しても、公演があるため、すぐに辞めるということはできません。
残念ながら、母は私の退団を待たず、天国に旅立ってしまいました。

今のお仕事を始めたきっかけ

その後、無事退団公演を終えましたが、大事な母を失った心の穴は、ぽっかり空いたままで、毎日泣いて暮らしていました。
そんなときに、あの3,11の地震が起きました。
毎日悲しいニュースを見ながら、私も泣いていましたが、退団1か月くらい経ったとき、
退団祝いにいただいたご祝儀を義援金として、どこかの地方自治体に寄付したいと考えました。

ちゃんと、地方自治体のトップの方に手渡ししたかったので、南三陸町の町長さんに、アポイントを取らせていただき、お会いしてお渡ししてきました。
その時、南三陸町と、宝塚市は、ご縁が深いことや、災害復興のために、宝塚市の職員さんたちが、数年も住みこんで手伝いに来てくれていることを知りました。
町長自身も、津波に飲まれて奇跡的に助かった経験がおありになるのに、母の話をしたら「あんじさん、涙って枯れないんですよ。僕も震災の後、毎日泣きました。でもね。8か月経ってたった一つ変わったことがあるんですよ。わかりますか?泣く回数が減ったんですよ。」と言っていただきました。
その時に、初めて自分の悲しみを肯定していただいたように感じ、救われた気持ちになりました。
「私は、必ず、この場所に戻ってきます」と町長とお約束しました。

一生懸命考えて、宝塚の関係の方や、ファンの方にお手紙を書いて、バス一台で、皆さんとボランティアツアーをしました。

それから、毎月大阪から南三陸に通い、南三陸に半月いて、ボランティアをする生活が始まりました。
私が出来ることはなんでもしました。
子供さんを亡くしたご両親と泣きながら、遺体捜索もしました。
そうして、2年3か月で、貯金が尽きてしまいそうなことに気づきました。

ある方のご縁で大久保寛司さんと繋げていただき、大久保さんのご講演の時に、一部お話させていただく機会をいただきました。
大久保さんの謝礼を私にくださったこともあります。
そのご縁で応援してくださる企業様も現れました。
それでとても救われました。

そんなころ、「法人化してみては?」というお話を何人にもされて、「非営利型一般社団法人」を作りました。
被災地に行っていて気づいたのは、子供の4人に1人は、動かないことでした。
部屋の隅で、ただ、座っているのです。
親たちが苦しんでいる、悲しんでいる姿をずっと見ていて、子供たちも傷つき、心を閉ざしてしまったのでした。

子供たちをなんとかしたい!
そして、「自分に何が出来るんだろう?」と考えたとき、「宝塚で培った歌やダンスをして、子供たちを少しでも笑顔に出来ないか?」を考えました。
同期のRiRiKAと相談し、子供が元気になり、自信につながるようにと、プログラムを作りました。

「なりきりステージ」です。
子供たちが色々な役になりきり、経験をしていくものです。
「3びきのこぶた」は、防災教育。
「あかずきん」は、防犯教育。
「ももたろう」は、いじめ防止教育。
「たべものとふしぎ」は、食品ロス防止教育
などを作りました。

今は、この「なりきりステージ」の他に、元宝塚の仲間たちとの企業様、自治体等へのイベントなども、プロデュースしています。

音楽には力があります。

宝塚に居たときには、「ずっと希望があれば、目標があれば、生きていける」と思っていました。
母が病気になったときも、「絶対に母は治って元気になって、一緒にいれるようになるんだ」という目標があったので、何があっても頑張れました。

でも、南三陸に行って、ボランティアをして分かったことは、明日への希望の持てない人たちがたくさんいて、希望もなく、目標もなくそれでも生きていらっしゃることでした。
そして、「目標が無くても、悲しみから生まれる力もあるんだ!」ということでした。
それが、私にとって、自分を突き動かしてくれる力になりました。

お遊戯会でも、運動会でも動かない子供たちを見て、子供でうまくアウトプット出来ないので、引きこもりになったり、暴力的になっているのを知りました。
私は、それまで、がれき撤去や遺体捜索などの苦手な力仕事ばかりのお手伝いをしていましたが、「私にも出来ることがあるはず!」と、自分が宝塚で得た経験から、皆様を笑顔にしたいと考えるようになりました。

先ほどの「なりきりステージ」というプログラムを開発したのですが、最初は、一緒に参加できない子も、二度、三度行くうちに、歌ったり踊ったりできるようになります。
「なりきる力」や「音楽の力」の凄さを知りました。
そして、音楽がたくさんの人の心の支えになることを知りました。

最初から、これが目標だと思って始めたわけではありませんが、挫折を繰り返すうちに、
諦めなければ、今の自分が見えてなかったとしても、必ず、たどり着ける道があります。
失敗してもチャレンジすることで、今の活動につながりました。

(2022年3月取材)

 

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